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小説「砂の器」の方言校正
松本清張原作の小説「砂の器」は、昭和35年5月から36年4月まで読売新聞夕刊に連載された長編推理小説ですが、当地、亀嵩が舞台の一つになっています。
当時の営業日誌を紐解きますと、昭和35年9月1日付けで「松本清張の推理小説の舞台。亀嵩となる。『砂の器。』」という記述があります。また、同9月6日付けで「 社長、専務出松 砂の器原稿訂正の件」とあります。伝え聞くところでは、読売新聞社の松江支社より小説に使われる方言の校正依頼があり、当時の社長(若槻健吉)と専務(山根勇吉)が松江まで出向き、方言校正について打合せをし、大体1週間位かけて校正を行ったようです。
映画「砂の器」ロケ
昭和49年には野村芳太郎監督、丹波哲朗、加藤剛、緒形拳他の出演で映画化されているのは周知の通りですが。前出の営業日誌によれば、亀嵩での撮影は昭和49年8月23日から始まったという記述があります。亀嵩地区内では湯野神社で三木巡査が秀夫親子を見つけるシーン、桐原老人のシーンなどが撮影されました。また、ロケ隊一行は (現・奥出雲町)三成にある曽田旅館に宿を取ったのですが、折しも滞在中に地元の夏祭りの時期と重なり、俳優陣は当家の家で酒を酌み交わすなど、ささやかな交流があったようです。
桐原老人のシーンでは、当時の弊社相談役(若槻卯吉)宅が撮影場所となりましたが、これには一つ逸話が残っています。映画の撮影に自宅の茶室が使われることが決まったことを受けて、若槻家では茶屋の屋根を修築したそうです。ところが、ロケ隊が到着後、茶室が当初の雰囲気と全然違って映画に使えないという話になり、その茶室でのシーンは急遽取り止めになったそうです。
テレビ「砂の器」仲代達矢版
昭和52年の8月、仲代達矢を今西刑事役に迎えたテレビ版「砂の器」の撮影が亀嵩でありました。
メディア紹介
今年2009年は、松本清張氏生誕100年ということで、各地でこれを記念するイベントが開かれたり、刊行物が出るようです。弊社にも各方面から取材、問い合わせ等を頂いておりますので以下に紹介させて頂きます。
世田谷文学館
東京の世田谷文学館(世田谷区南烏山1-10-10)に於いて、2009年4月11日から6月7日まで松本清張生誕100年記念プロジェクトの一環として「松本清張展」が開催されています。
同館より弊社に出品依頼があり、営業日誌(注1)と松本清張氏からの書簡(注2)を展示品として出品しております。
(注1)昭和35年9月1日及び同9月6日付けで「亀嵩訛り」の方言校正に関する記述があります弊社の営業日誌。
(注2)昭和58年10月に行われた「小説砂の器 舞台の地」記念碑除幕式に先立って同年3月に松本清張氏が来訪された後、弊社社長(若槻慎治)に宛てられた書簡。
リンク:世田谷文学館
「旅の手帖」
リンク: 旅の手帖
「週刊 松本清張」創刊。第2号は「砂の器」特集
弊社では「砂の器」号の発刊に先立ち、松本清張氏とのエピソードに関する取材を受け、写真の提供も致しました。
「砂の器」号を手にされましたら、是非11ページ、20ページ、裏表紙をご覧下さい。
リンク: 週刊 松本清張 DeAGOSTINI デアゴスティーニ・ジャパン
郷原編集長のインタビュー記事(もっと!J-CAST)
新潮社発行『旅』2010年1月号、別冊・特別付録「松本清張 旅ブック」
リンク: 新潮社『旅』2010年1月号
なお、同24ページに掲載されている写真のキャプションに「若月家の茶室」とありますが、これは「若槻家の茶室」の誤りですね。